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第21回 21世紀の成長産業といえばやはり葬儀屋でしょう

カテゴリ : 社会 / 日時: 2002年07月09日

▲6月は葬式を2つもこなすことになった。季節の変わり目は人が死ぬと言うが、6月はそんな時期なのだろう。葬式の当事者となったことのある人ならきっと共感してもらえると思うが、葬式屋はなかなかいい商売だ。簡単な葬儀をするだけでも、ちょっとしたパーティーを開くよりずっと大金が必要になる。通夜、葬儀一切はもちろん、最近は初七日まで葬儀の日に済ませてしまうから(東海地区だけの特徴?)、そこでの会食代なども入れると、軽く見積もって100万円以上のお金が支払われる。こんなに金をかけるのは冠婚葬祭が派手な東海地区だけなのだろうか。

▲葬式は突然やってくる。そして、混乱の中、有無を言わずに日程から祭壇のサイズまでの決定を迫られる。祭壇など特上、上、中、下と用意されているから、どうしても見栄を張って中か上を選んでしまいがちだ。むろん見積をとって検討するなんて余裕はない。実際には葬儀屋すら、選択の余地はないのだ。病院には専任とおぼしき葬儀屋があって、死ねば自動的にそこが呼ばれ、あとはそこの指示に従って動かざるを得ない。葬儀屋の知り合いなどいる人は少ないし、身内が死んだときにそんな冷静な頭は働かない。

▲というわけで葬儀、お寺への支払などで相当な現金が必要になるが、死人が遺産を持っていたとしてもそれは使えない。本人の葬式なんだから使えて当たり前と思うのだが、当人が死んでいる以上、残った人が勝手に使うわけには行かないのだ。死んだことが知れた時点で銀行は口座を凍結する。したがって、手持ちの現金がないと死んだ人に葬式も出してやれない。手としては生きてる間に当人に現金を引き出させるしかないのだが、死にそうな病人に葬式の費用をおろせというのも酷というものだ(苦笑)。

▲死んでからはどういう宗教で、どういう墓に入れるかなんてことも問題になる。東京あたりでは、近隣には新しい墓を分譲するスペースがなく、お骨は自宅待機ということもあるようだ。人間、生きているうちはあまり死んでからのことなど考えたくないものだから、そのあたりは皆、曖昧なまま。先日コラムニストのナンシー関が亡くなったが、彼女は出身地である青森の実家で葬儀が行われたらしい。そうするときっと仏教だろうし、墓は場合によっては土葬だったりするかも知れない。「仏教はまだしも土葬だけは勘弁して」と彼女ならいいそうだ。

▲というわけで身近に葬式をやってみると、生きている間に死んでからのことを一応考えておいた方が良さそうだと思う。しかし、実際にはなかなかそれはできない相談だ。何せ、人は死んだらどこへ行く、さらに突き詰めれば、何で生きているのか、なんて哲学的な問題にさえ行き着いてしまうから。実際日本人の場合、多くの人は仏教で葬られるのだが、信心の全くなかった人がお経をきいて成仏できるのか? 成仏自体すでに仏教用語だが。ちなみに私は仏教が嫌いではないので、あまり抵抗はない。ここで言い残しておこう、私は仏教葬式でかまわない(を希望)。

▲何教だろうと、葬儀はやらなくてはならないので、そうなるととにかく儲かるのは葬儀屋だ。東海地区は結婚式も派手だが、葬式もかなり派手。私の父の時など、坊さんが9人も来た。少子化で結婚式は減る一方だが、老人人口は増え続けているし、不摂生をしてきた団塊世代もそろそろ「お年頃」だ。前述のように見積なしの世界ゆえ、葬儀屋は結構おいしいビジネスと思われる。

▲東海地区で最近数を増やしている横文字の斎場があるが、話によるとここは、某自動車情報誌会社の関連会社らしい。○○ 殿とかいった古くさい名前でなく、ホールの造りもオシャレ? な感じのこの葬儀会社、ここ5年ほどで一気に伸びてきている。介護ビジネス、そして葬儀屋とベンチャー系がこうした業界に進出してきているが、なるほど、うまみがあることが、今回葬儀を改めて体験してみてよ〜くわかった。

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