▲亜麻色の髪の乙女という1967年のヒット曲がリバイバルしている(歌っているのは島谷ひとみという女の子)。亜麻色というのは、辞書によれば黄みを帯びた薄い茶色のこと。つまり亜麻色の髪というのは、現代でいうところの茶パツといえそう。もともと「亜麻色の髪の乙女」というタイトルは、フランスの現代印象派作曲家ドビュッシーのピアノ曲からとられているようだ。何はともあれ、すぎやまこういち作曲のこの曲は、ホントいい曲だ。
▲オリジナルのヒットした67年当時は、まだ子供だったこともあって、どうもこの歌のイメージがよくわからなかった。「亜麻色の髪というくらいなので、きっと外人のことを歌っているのだろう」と思ったりした。いや実際、当時はハーフの女の子とかをイメージしてこの曲は作られたに違いない。茶色い髪はエキゾチックだったし、日本人の髪がみな、やがてそんな色になるとは、誰も想像すらしなかったに違いない。
▲35年もの時を経た現在は、もはや誰もが亜麻色、つまり茶パツである。特に女性は黒髪の人を捜す方が難しいほどだ。男性も半数は茶パツだろう(それはちょっと言い過ぎか)。W杯サッカーの選手達は金髪から赤髪までまさに色とりどりだったし、そういう連中が国の威信をかけて戦っているわけで「時代は変わる」とかつてボブ・ディランが歌ったとおりになっている。かくいう私もジジイのくせに茶パツだ。
▲そんな現在でも、うちの子供達の行っている私立高校では頭髪検査があり、髪が耳にかかったらアウトらしい。茶パツどころかロンゲもまだダメなのだ。私の若いころは確かにロンゲ、茶パツが異端だったのだが、このご時世でもまだ頭髪に規制があるとはちょっと驚き。就職活動をする学生も黒髪に「染める」らしいが、入社するとまた茶パツに戻るというあたりはちゃっかりしているというか、なんというか。
▲若いころは茶パツではなかったもののロンゲだったこともある私としては、頭髪規制はたいへん遺憾である。といって子供にロンゲにしろとは言えないし、第一、長男などは好んで丸刈りにしている。すでに髪が長いか短いか、茶色か否かは彼の中では重要なことではないらしい。学校からしてみればまだ不良にはロンゲ、茶パツが多い、ゆえに茶パツを許さない方が不良を排出しにくいという事情はあるようだが、子供としてはそれすら、もはやどうでもいいことなのだ。
▲企業からしてみれば、企業戦士は無垢の状態(黒髪)のものを多く入社させたいという事情はあるのだろう。しかしこれとて入社後染めるのであればまったく意味をなさない。一応入社時に社会に(会社に)適応する姿勢をみせたことだけでも評価するのだろうか。とはいえ社会は若いサラリーマンが茶パツでも、もはやあまり気にしなくなっていることは確かだ。
▲いずれにしても、ロンゲ、茶パツには個人の生き様的な意味はもうなくなっており、単なるファッションにすぎない。その意味でも確かに時代は変わったのだ。それでも兵役に出るようなことがあれば否応なしに短髪にされるだろうから、兵役のない日本はつくづく幸せであると思うべきだろう。そんなわけで若者は気軽に茶パツにするが、しかしジジイの私としては(茶パツにするのは)けっこう気合いが要った。ジジイにとって茶パツはまだ社会に認められているとは言いづらい。いい年こいたジジイは若いころロンゲで戦い、年をとってもこんなことでまだ戦わなくてはならないのである。












