▲ライブドアとフジテレビの攻防も小康状態のようなので、そろそろこの問題について考えてみたい。最近は堀江氏のやり方を非難する声が多くなってきているが、現在のところ合法である以上、また日本が資本主義である以上、非難することはできないだろう。会社の主導権争いはかつてフジの日枝氏も社内でたっぷりやってきたこと。社内でやったか、外から仕掛けられたかの違いだけで、これを云々することは意味のないことだ。
▲また、ネットが既存メディアを飲み込むとか、ネットが放送と融合して新たなメディアになっていくということは、既成事実としてメディア業界の人間ならほとんどの人が了解している。かつて日枝氏自身も講演で述べていたくらいで、どういう形態になるかは誰もはっきりとは言えないものの、そうなっていくだろうことは、今や誰も抗おうとはしていない。そのやり方、主導権を誰が握るかを両社は争っているだけだ。
▲ただ根本的に違うことは、ネットは誰の制約も受けないが、既存のマスメディア(特に放送)はほとんど政府認可事業に近いことだろう。その放送局は新聞社系列でもあり、結果的には新聞社も政府の影響を受けている。という意味では放送や新聞がいつも正しい報道とは限らないことは、もはや誰もわかっているはず。また、チャンネルが違うだけで同じようなニュースを流しているに過ぎないことも分かってきた。記者発表的な表情報だけで独自情報は少ないのだ。もちろんウワサや裏情報も得られない。その点では正しいか、間違っているかは別として、裏情報を流し続けるネットにこそ、メディアとしての意義があると思う。
▲それでもマスコミは、ネットより絶対的に「マス」ゆえその影響力が巨大なので、堀江氏はとにかく欲しいわけだ。ネットのアクセス数を増やすのに、テレビほど大きな助力は他にないのだから。そのあとそれがどうなっていくか、どうしたらいいかについては、責任ある展望など示せるはずがない。へたにそれを示せば、認可事業の縛りがきつくなるばかりだろう。
▲今のテレビ放送は、コマーシャルを含めて娯楽が90%以上で、報道は1割にも満たないと思う。またテレビ局にジャーナリスティックな報道を求める人などいないはず。もはや娯楽媒体に過ぎない。それであれば娯楽に特化した番組とサイトを連動させればいい。今の論議はそこにジャーナリズムだの社会の公器だのといった建前論を展開するから話がややこしくなる。堀江氏はフジテレビという一種のディズニーランドを買おうとしただけなのだ。
▲もし私にお金があったら、放送局を一つ買い取って、報道専門局に特化させたい。そんなチャンネルはないから、けっこう数字(視聴率)はとれるはずだ。数字がとれればスポンサーも付く。先日、「朝まで生テレビ」を見ていたらスポンサーは自費出版ビジネスの新風舎だった。なるほど、ぴったりのスポンサーだ。そうして娯楽局あり、報道局ありと放送局の構造改革がすすんだ方がもっとおもしろくなるはず。それにネットが融合すれば強力なメディアになりうる。
▲今回の一件は資本主義だからしかたない(正しい)ことだし、ジャーナリズムとか社会正義とかも論ずる意味がない。論ずるべきは(ネットを含めた)メディアの再編ということだろう。ネットが10年前に実質的に使われるようになってから、例えば本や雑誌の業界は産業構造が変わりつつある。次は新聞、そして電波と変わっていくのは時代のすう勢だ。その切りこみ隊長がホリエモンだったわけで、彼が倒れてもまた次の人なり、組織なりが切りこんでいくはず。そうして世の中はひっくり返る。 ▲ただ、その結果、悪い方向へ向かうとすれば、たいへん残念。ネットの世界ではナショナリズムがセンセーショナルになってきつつあるし、多くの情報から真実を見つけだそうとしない人も増えている。情報が多くなったことで、かえって裏読みができなくなっている人の何と多いことか。その意味では、責任あるコンテンツ制作者がより求められる。つまらないブログもやばい掲示板も必要だが、きちんとしたサイトが少なくなることが怖い。そうしたサイトを作るための経済的な構造こそ、実は今一番求められていることだと思う。











