▲先日、身内の葬儀を仕切った。葬儀というと日本の場合はだいたい仏式。というか、私の葬儀の経験では仏式しかこれまで知らなかった。一度だけ創価学会の葬儀に出たことがあるが、これもまあ仏教ではあった。しかし今回は故人の遺志もあって無宗派葬ということになり、さてどうしたらいいものか、なかなか微妙な事態に。葬儀会館も年に数回しか無宗派葬を行ったことがないということで、葬儀会館と相談しながらの式となった。
▲会場では棺を真ん中に、祭壇を花で飾りつけたのだが、これはキリスト教的なシンプルなものとなった。遺影はディスプレイモニター(縦置き)。故人は80才を過ぎていたが、20年ほど前に私が撮影したプリント写真をスキャンして、少し若い写真が写し出された。その後部の暗幕後ろ側には45インチほどのプロジェクター画面があり、必要に応じて利用される仕掛けだ。仏式のような和風建築(?)は無いから、なかなか現代的で違和感がない。花も菊を排除したのでオシャレな感じがするくらいだ。
▲式次第は、故人の好きだったクラシック音楽の流れる中、開会の辞に始まり、全員起立で1分間の黙祷、次に司会者(葬儀会館が用意)による故人の紹介があり、身内による故人の経歴朗読。この朗読では私も知らなかった故人の人生が語られ、たいへん興味深いものとなった。そして、義理の兄弟や孫による追悼の言葉(弔辞)。これも故人への思いが訥々と語られ会場の涙を誘うことに。次は身内や親族、来場者が一人ずつ献花していく。仏式では焼香となるがその代わりだ。
▲献花が終わると会場の明かりが落とされ暗幕が開いて故人のビデオが流される。ビデオといっても故人が動いているビデオなどうまい具合にあるわけがないから、自然風景などに故人のスチール写真をスキャンしたものがはめ込まれたもの。それでも10数枚の写真が映され、司会者のナレーションが盛り上げるため、涙なしでは見られない。ビデオで盛り上がるというあたりは、これまた現代的で違和感がない。結婚式ではよくあるパターンだが、葬式でも同様にやれるわけだ。
▲喪主が最後に一言挨拶をし、閉会の辞が司会者から述べられ、親族による最後のお別れへと移り、出棺、火葬場へ、という流れ。このあたりは仏式の葬儀とそう差はないところ。火葬場でも坊さんがいないから、皆各々手を合わせるというパターンとなる。参列者もあまり前例を見ない葬儀だったようで、感想を聞くと、「なかなかよかった、自分もこういう式がいい」という意見が多かった。
▲団塊の世代など、これから死にゆく人々は、昔の老人よりあまり宗教には関わっていない、あるいは関わりたくないという人が多いはずだ。といって、死、そして供養という局面ではどうしても宗教が関わってくる。そのあたりにはっきりした意志や意見を持っている人は多くはないだろう。今のところ成り行きで仏式葬儀が行われることが多いが、こうした無宗派層葬を体験した人が少しずつ増えてくると、かなり今後の葬儀は変わってくると思う。それがいいか悪いかはなかなか微妙だが。
▲というのも葬儀の本質は故人を偲び、供養する意志を持つことだろう。今回のようにその意志をはっきり持っていれば、葬儀は無宗派でもかまわないと思う。しかし宗教葬の場合は否が応でも供養することを強いられるから、その意味ではけして悪くはない。無宗派で簡単に葬儀を済ませてしまうことで、人の死があまり軽くなってしまうのはちょっとまずいことにも思える。もちろん残された家族や知人、つまり生きている人の考え方、生き方の次第なのだが。
▲私は仏教シンパだから、自分の葬儀は仏式で行ってもらいたい。が、とおり一辺倒の仏式ではなく、今回のような弔辞やビデオを用いた、新しい仏式がいい。坊さんがお経を上げ、焼香をしながら、なおかつ経歴紹介や弔辞、ビデオなどを入れた新型仏式葬儀だ。これは無宗派葬をやるよりさらに困難が伴う。お寺さんを始め関係各所の調整はものすごくたいへんだろう。私はぜひこうした葬儀を仕切ってみたいと思うが、よく考えたらその時私は死んでいるので、残念仕切れない(苦笑)。というわけで私は遺恨を残して死ぬことになりそうだ。












