第56回 伝統芸のストーンズ公演をナゴヤドームで見た

カテゴリ : カルチャー / 日時: 2006年04月08日

 

▲メロディフェア(邦題:小さな恋のメロディ)という映画をご存じだろうか。もう約35年も前のイギリス映画だ。ローティーンの恋の物語だが、主人公の女の子の友達が、皆でキスをするブロマイドはミック・ジャガー。そんな女の子も今や50歳に手が届きそうな「オバさん」だ。多くの人はお世辞にも素敵とはいいがたい(失礼)。でも還暦を過ぎたミック・ジャガーはいまだに素敵だ。35年前と同じようにエネルギッシュに跳ね、歌う。これは確かにカッコいい。

▲ナゴヤドームの私の隣の席にはそんなオバさん二人。どうやら大阪から来たらしく、「新幹線の時間がないから最後までは見られへんわ」とささやきあっていたが、ライブが始まると通路に出て立ち上がり、大いに盛り上がっていた。ライブの日に一泊することすら許されない現実に生きる彼女らにとっては、ミックは今も夢であり、その歌に少女の日々が思い出されるのだろう。ローリング・ストーンズは今や永遠のロックというノスタルジーだ。

▲とはいえかくいう私も、不覚にも込み上げてくるものがあった。アルバム「フラワーズ」の1曲目「ルビーチューズデイ」とか、オルタモントの悲劇の「ギミーシェルター」とか。実は私はストーンズを初めて見た。これまで正直、メジャーすぎるバンドがドームのようなところでやる完成型のショーを眺めて何がおもしろい、と思っていた。今回も当日券があるという情報(しかも一番安い9000円席)で、出かけることに。まあストーンズの解散より、私が死ぬ方が早いのではと考え、冥土のみやげにしようと思ったのだが。

▲初ストーンズの今回、熱烈ファンではなかったものの、30余年のリスナーとしてはやはり歴史の重みに打ちのめされたのである。泣けて泣けて(苦笑)。「ゲット・オフ・オブ・マイ・クラウド」は昔バンドでよくやったな、とか、ついに本物が演る「ホンキートンク・ウィメン」を聞いたなとか。私の場合キース・リチャーズだけは特別で、2枚のソロアルバムは超フェバリットなので、生で彼が見られたのは掛け値なしに良かった。ホントはキースのソロライブこそ死ぬまでに見たいものなのだが。

▲それにしても客の入りは悪かった。高いチケット価格がその原因だろう。普通のオジさんオバさんや若者には数万円はいたい。それでも55000円のチケットは売り切れだったから、やはりここでも格差社会が垣間見える。ストーンズを聞いていた人でもお金持ちになった人がずいぶんいるわけだ。入りが悪いからか、主催者はなんとステージ真正面の5階席を解放。私も席を移動したが、スクリーンもよく見え、音も大変良く、しかも左右数席は誰もいない。おそらく2万円近いフロア席よりライブを見るには良かったのでは。

▲ショーは見事に2時間の、まさにプログラム通りのもの。例のミックの動きも、キースのいい加減な5弦ギターも予定調和。皆60過ぎてまだ若い頃と同じ印象の体つきというのはさすがに驚きだが、それも含めて40年来のストーンズのイメージそのもの。青春のロッカーだ。まだやってるボビー・キーズのサックス、まだ使ってるロン・ウッドのゼマティスギター、まだ8ビートを2時間もたたけるチャーリー・ワッツ(この人が一番凄い)など、その意味では変わらない伝統芸能のよう。流転せず同じ位置で転がり続けている石。生のストーンズはやはりベンチャーズにイメージがダブってしまった。

▲デブのジョニー・ロットン、ハゲのトム・バーライン。そんな醜態をさらすパンク連中を横目に、英国認定のナイトとなり、しなやかにステージを跳ねるミック・ジャガー。夢見る少女の瞳でそれを見つめるオバさん。パンク誕生以来30年にもなるのに、今だロックは死んでいない。死んだのはパンクの方だ。そしてまもなく多くの人が死んでいないロックに送られて死んでいく。今後増える無宗派葬ではストーンズのバラードも流れることになるのだろう「グーッバイ、ルービチューズデー」。

 
 

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