第61回 想像しよう。死ぬのはいやだ、怖い、戦争反対

カテゴリ : 社会 / 日時: 2006年12月11日

 

▲12月8日はジョンレノンの命日だった。真珠湾攻撃の日でもあり、例年何かと思うことの多い日なのだが、今年はイマジン(想像してごらん)をキーワードに、少し考えてみた。ジョンが死んで四半世紀がたつが、世界は何も変わっていないし、日本でいえばよりきな臭くなっている。「死ぬのはいやだ、怖い、戦争反対」というのはYMO関係のお笑いグループ「スネークマンショー」の曲だが、これが発売されたのはちょうどジョンが死んだ頃だったと思う。

▲戦争を考えると、やはり問題は人の死ということだろう。為政者のために多くの人が嫌々戦いにかり出され死んでいく、それが戦争反対論者の論旨だ。たとえば戦いが完全にロボット化して、為政者だけが負けた責任をとって死ぬような戦争になれば、人は面倒な選挙などではなく、為政者の殺し合いで政治を選択するかもしれない。為政者も命がけだから政治はもっとよくなるかも。少なくともそんな親父を継ごうとする二世三世議員は減るだろう。誰だって死ぬのはいやだ。

▲ところが最近、この死ぬということに関してのイマジンが欠落しているように思う。いや欠落というより、誤った解釈というべきか。TVで人気のスピリチュアリストあたりがいうあの世を単純に信じている人(特に若い人)が多いようで、評論家の香山リカが月刊誌で書いていたように、最近多い自殺者には、死んでから自分の死んだことで苦しむ奴らを見てみたい、などという思いもあるようだ。それができると信じているから死ねるわけで、死ぬということが、かなり湾曲して考えられている節がある。

▲私はどちらかというと仏教徒だから、死んで無になる的な唯物論者ではないが、それでも「私というものがなくなる死」は怖い。輪廻転生を信じているわけではないが、たとえ信じていたとしても、私がなくなることを喜んで受け入れられる気にはなれない。死はなんだかわからないから怖いのだ。でも、それよりさらに怖いのは生き残ることだ。その昔、「ジョニーは戦場へ行った」という映画があったが、戦地で手足目耳口をもがれ、芋虫状態でなお生きている若者の苦悩というこの映画は、若い頃に見て衝撃を受けたもの。それが自分の身に降りかかることを想像すると、正直怖くて戦場には赴けない。

▲つまり「ひょんと死ぬる(フィリピンで戦死した竹内浩三の詩)」兵隊ならまだましな方で、手足をもぎ取られ、苦痛と苦しみのうちに死ぬ兵隊が大半な訳で、それを想像すると「死ぬのはいやだ、怖い、戦争反対」となるわけだ。そうした想像力がどうも最近欠落した社会になっているように思える。ジョンは戦いのない社会を想像してごらんと歌ったが、いま想像すべきは戦いの後で苦しむ自分を想像してごらんということだ。すでに戦争へは行けない年になった私はあまり自身に関しては想像できなくなったが、自分の子供で想像すると怖い。そういえばかの国の首相は平和な時代に生きて老い、しかも子もないからそんな想像などできないのかもしれない。

▲最近の子供の自殺も、そういう教育をすれば減るのではないか。自殺で確実に死ねるわけではない。自殺未遂で地獄の苦しみに陥った人は多い。死ぬことの恐怖より、生き残ることの恐怖を想像させることこそ、自殺抑止に役立つと思う。つまりそういうことを想像させないようにしていることこそ、現在の教育や社会の問題ではないだろうか。戦争へ向かう道と、自殺者増加の道は同じ方向なのではないか、と想像してしまう年の瀬だ。

 
 

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