第62回 自動翻訳機、どうしてこれだけは実現しないのだろう

カテゴリ : カルチャー,コンピュータ・ネット / 日時: 2007年01月18日

 

▲ある雑誌を読んだ。それによるとなんだか日本の国力が落ちているらしい。GDPはここ15年ほどで世界一から一気に落ち、昨年は14番で「ノーフューチャー」だったはずの大英帝国にも負けている。そういえば昨年の自動車販売台数はついに中国が世界2位に躍り出たし、日本は人口も2015年をピークに下り始めるらしいし、IT分野でも世界の国々にどんどん負けている状況のよう。確かにwebの世界で日本発のものは少ないし、ネットの利用率もこのところあまり高まっていないようだ(特に20代には)。

▲web2.0の世界では「英語」ができない日本人が多いことが問題だという。世界の共通語である英語さえできれば、ネット社会ではどこでも仕事になるという。その顕著な例がインド。英語ができて、やたら人の多いインドは英語圏の巨大頭脳になり得るらしい。英語のしゃべれない人が多くても、絶対的な人口の多い中国は何とか自国文化圏で独自の展開ができそうだが、日本とか、自国言葉にこだわるフランスやドイツは今後没落していくとのことだ。日本沈没は近いか。

▲確かにこの話には説得力がある。うちの会社ではポルシェの専門誌を編集発行しているのだが、この雑誌は内容的には世界で一番「濃い」ポルシェ雑誌と自負できる。しかしながらこの雑誌は日本語で書かれ、しかも文字は縦組み。アメリカや中国で読んでもらってもおそらく喜ばれるはずの内容だが、日本語では展開のしようがない。といってネイティブな英語に訳して刷り直すのも難しい話だ。ましてネイティブな中国語は無理。

▲私がデジタルの仕事を始めて10年以上たつが、その間にずいぶん世の中は変化し、進化した。10年前、クルマのサイトを集めて紹介した単行本と、その紹介サイトに番号を振って、番号を入力するとすぐ跳べるようにしたポータルページを作ったりしたものだが、今はgoogleがあればそんなものはいらない(いや、個人的には密かにそれが欲しかったりするのだが=つまり個人的なリンク集だ)。このあたりは劇的な変化だ。

▲ところが10年前に「10年もすれば簡単にできるようになっているはず」と考えていたことでまったく実現していないものがある。それが自動翻訳、というか同時通訳マシンだ。全世界の言葉とはいわないが、せめて英語を日本語に、日本語を英語に即翻訳できるくらいの機械はできていてあたりまえ、と思う。むろん細かなニュアンスは無理としても日常会話、ビジネス会話くらいできる機械がなぜ今もできていないのだろう。

▲翻訳サイトもお馬鹿なままだし、旅行用翻訳(というか発声)マシンはあるが会話までできるものは開発が進んでいるという話すらきかない。この自動翻訳・同時通訳マシンが実現すれば、日本人もグローバル化についていけるし、ひいては国力の回復につながると思うのだが、結局今も役に立たない学校英語教育と、業者が儲かるばかりの駅前留学が幅をきかせている。小難しい(失礼)デジタル技術を開発するより、こういったベーシックなサービスを実現させる研究開発の方が世のため人のため、ひいてはお金になりそうな気がするのだが。特に英訳機は日本を救うと思うのだ。

▲今から25年ほど前、私は写植という技術を身につけようとがんばったことがある。手書き原稿を活字にする仕事だが、文字盤から一字一字文字を拾い、サイズを決めていく仕事で、とてもヘビーな職人技だった。やってるうちに、これは人間のやることじゃない、やがて機械がやるはずと思い、とっとと見切りをつけた。まあそれは正解だったわけで、その技を身につける時間の代わりに、いろいろな仕事ができたことが現在につながっている。

▲写植と同様に英語も身に付けようとしたができなかった技術。まあこれもいずれ機械がやるはず、と思ってそれ以外のことに邁進してきたつもりだが、こればかりは見事に当てが外れてしまった。残り少ない人生で「手段としての英語」を身につける時間はあまりとれそうにない。となれば、何とか早くこの「どこでも英訳機」をだれか開発して欲しい。現役を退く頃にできても意味がないので、今すぐ欲しいのだ。久々の強烈な物欲なのだが、現物に関しては今だ何の姿も見えないのがもどかしい。

 
 

月別一覧

 

現在の位置:ホーム > 編集長コラム 水野誠志朗'sトーク > 自動翻訳機、どうしてこれだけは実現しないのだろう