第73回 クルマを手放すのではなく、利用法を考えよう

カテゴリ : / 日時: 2008年06月21日

 

▲クルマはもう手放そう、という論調の記事を、いよいよあちこちで見かけるようになってきた。ガソリン価格高騰を背景に、エコや健康志向が後押ししてのクルマ不要論 (特に都市部住民向けの)だ。クルマを手放し、バスやタクシー、徒歩や自転車にすれば年間数十万円が節約できるというもの。地球温暖化防止に貢献でき、メタボ対策になり、しかも家計に優しいわけで、こんないいことはないという論調だ。

▲最初に白旗をあげる。クルマ好きとして、これに対抗する手だては何もない。実際にクルマは金食い虫だ。クルマ好きはそれを実感しているはず。いくら燃費が向上したって、クルマがエコに貢献するはずはないし、クルマが運動不足を助長することも実感できる。何よりクルマを持っていれば相当お金を使うのは間違いない。ガソリン代、税金、保険、さらにはクルマの値落ちと、年間100万円程度は普通だ。

▲2000ccクラスとして月額の費用を計算してみる。年間1万km走行として月833km、燃費リッター8.3kmで100リッター、ガソリン代はリッター170円でも1万7000円。クルマの値落ちを3万円とし、税金・保険(年齢などで大きく差がある)で1万5000円とすると月額6万2000円。これだけで年間約75万円だ。あと、2年に一度の車検、タイヤなどパーツ交換、もしもの場合の修理、ローンを組んでいる場合には金利もあり、限りなく100万円に近づくだろう。

▲年収が500万円の人なら20%がクルマ関連の出費となるわけで、それはそれは大きい。実際、月8万円(年間100万円のクルマ維持費とすれば)をタクシー代に使えたら、マイカーなどなしでもいいかと思えたりもする。月に一回ドライブでレンタカーを借りても1万円はかからないし、もうクルマは手放した方がいいという意見には残念ながら抗えない。しかし、マイカーを持つということはそういうお金の問題だけなのだろうか。

▲大げさにいえば、クルマを買ったときに人は移動の自由と生活のゆとりを手に入れる。いつでも思った通りに移動できる自由、移動行為に苦痛が伴わないゆとり。これらこそがクルマの意義であり、お金に代えられない価値なのではないかと思うのだ。クルマに乗ることで自由に移動でき、自己が拡張していく感覚、自分の能力が高まった感覚は、免許を取ったときに誰もが感じたはずだ。その「自由」ためにクルマを持つのだと私など思っているのだが、残念ながらそんな論調はどこにも見受けられない。

▲クルマに乗る自由と言論の自由は私の中では同じ類の自由だ。昨今のクルマへの論調は、結局またひとつの自由が、世のためという錦の御旗で自己規制されてしまうように見え、暗澹たる気持ちになってしまう。まあ、言論の自由が規制されても経済的にはそう大きな問題ではないと思うが、クルマの自由が規制されてしまうと(要はクルマが売れなくなると)、日本の経済には大きなダメージが出てくるのでは。政府としては言論は取り締まっても、クルマは売れるようにし向けていかないとまずいのではないか。

▲公共交通機関に依存して移動ができる地域は全国の3割に過ぎず、残りの7割の地域に住む人はクルマがない限り、最低の文化的生活すらできないのが現実だ。地方の人々にとって、クルマは生命線であり、生きるための手段である。ちなみに世界的に見てもこの割合は変わらないようで、世界の7割の地域の人々がクルマを必要としている。クルマによる自由や文化的な生活を欲している。そう、みなクルマが欲しいのだ。そしてそこへクルマ(やその技術)を売ることによって、日本経済は今後も何とかやっていけると思う。

▲ただこうしたことを理解した上で、クルマのあり方をもう一度考えることは重要だ。クルマを単にやめるのではなく、カーシェアリングや新たな形態のレンタカー、自家用車の乗り合い利用(合法的な白タクはできないものかといつも思う)など、さらに効率的にクルマに乗る(クルマの自由を享受する)仕組みを、都市に限らず地方でも整備すべきだろう。エコなクルマをシェアする事業や、バスやタクシーをより効率よく便利に走らせるシステム整備など、まだまだできることは多い。そしてそれらは道路を造るのと同じように公共事業として行うべきだろう。道路特定財源の一般化などすべきではなく、税金はこうした交通関連事業にまわすべき。それこそがエコにつながるはずなのだから。

 
 

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