第74回 格差社会は日本だけの話ではなく、世界の構造そのものなのでは

カテゴリ : 社会 / 日時: 2008年06月23日

 

▲秋葉原の無差別殺人に関して、やはり書かねばいられない。私も東京では最もよく行く街が秋葉原であり、現場は街並みまで記憶している身近な場所だ。そんな場所での惨劇。今後様々な事実が出てくるだろうが、まずは印象として書き留めておきたい。

▲まず前提として、彼(犯人)の行為を養護するのではないことを明らかにしておきたい。凄まじい犯罪であることは明らかで、精神鑑定に問題がなければ今の法制化ではたぶん極刑は免れないだろう。無差別殺人は特に今の世の中では許し難い。ただ、そこに至った彼の心境を考えてみることなく断罪するだけでは、今回の事件は風化してしまう。

▲高校時代までそこそこ普通か、普通よりちょっと上くらいにいた人間である彼が、大学入試で挫折し、やがて派遣社員としていわゆる負け組(と思える状況)となったことがこの事件の背景であることはたぶん間違いないだろう。それに彼の個人的な資質が加味されて、今回の事件を引き起こしたということだ。「中年になっても6畳のアパートで一人寂しく生きていく」だろうことを受け入れられず、自棄になった犯行だ。

▲実際のところ、「中年に…」はたぶんその通り。今の世の中は相当な才覚と運を持たない限り、彼の現在の状況からまずはい上がれない。負け組は負け組のままでしかない、ということが誰にでも分かってしまう、そんな社会であるのは現実だ。万一はい上がれるとしたらそこそこの頭の良さに加え、社交性が絶対に必要。人付き合いの悪い、いわゆる暗い人間はまずはい上がれないのがまた現実だ。人との出会い、金運といった運もそんな社交性が呼び込むと思えば、自らを暗いと自覚してしまう人間には絶望しか残らない。

▲ただ彼にはある程度の才覚はあったように思う。うまくやれば、中くらいのレベルにはい上がれたのではないか。しかし、そこはたぶん彼の理想ではないし、そこで自分に折り合いをつける(要はあきらめる)には若すぎたということだろう。憂さ晴らしの方法が身につき、適当な趣味(ゲームとかじゃなくもうちょっと外向的な何か)にでも身が入れば、負け組でも何とか生きていける。そうやってあきらめることを強いるのが今の世の中だ。上を考えてはいけないのである。

▲そんな閉塞状態によって社会が維持されているのは健全ではないが、かといって改善する方法は見つからない。格差社会は日本だけの話ではなく、世界の構造そのものであり、個人と同様、国も国際的な格差の中にいる。まだ世界の勝ち組にいる日本もいつ負け組に入るかもしれない。ひとつの考え方だが、日本が負け組とならないために国内に格差が作られているともいえる。格差社会を全世界的に生み出すことで、何とかバランスを保とうとしているのが世界情勢ではないか。そしてそれが個人にのしかかってきているのだ。

▲それに対する不満が無意識に爆発したのが今回の事件なのでは。現在日本では年間3万人ほどが自殺しているが、その自殺原因の多くに同様の不満が関わっていると思う。今回の事件は彼の自殺に他ならない。ただ、ひっそり死ぬのでなく事件を引き起こしたことで、社会に対する警鐘をいくらか鳴らしたことは確かだ。より深刻なのは黙って死んでいく人間だろう。死を持ってしても社会に警鐘を鳴らすことすらできない哀しさ。死んだことですべてがうやむやになってしまう。交通事故死者は5千人、自殺は3万人。交通事故は好きで死んだわけではないから対策を施し、自殺は自分の意志だから仕方ない、のか? 自死に至る原因を社会的に考えない限り、彼のような犯罪者は更に増えるだろう。

▲ここからは蛇足だが、彼がワイドショーを独占すると掲示板に書いたことは、新聞というメディアの衰退をひとつ示したと思う。というのも翌日は新聞休刊日。昔であればあれだけ冷静に事件を起こそうという人間なら、ましてワイドショーを気にするような人間であれば、新聞というメディアも気にしたに違いない。しかし彼の頭には新聞はなかった。新聞に犯行予告文(というかメール)を送ることもしなかった。新聞がメディアとしての力を取り戻したいのであれば、新聞社はメールアドレスだけでも公開しておくべきではないだろうか。

 
 

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