第96回 日本社会が三権分立ではなかったことに初めて気づいた

カテゴリ : 社会 / 日時: 2010年01月30日

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▲民主党小沢幹事長をめぐる問題だが、マスメディアの一方的とも言える小沢攻撃も一段落して、最近は一部のメディアでは検察批判も出始めている。私はこの問題を小沢民主党対検察の権力抗争劇として「楽しみ」にみているのだが、どちらが勝つかという点ではこれからの日本の行く末を左右するだけに、興味本位だけではいられない。

▲今回はっきりしてきたのは日本には検察という権力が存在していて、司法、立法、行政の三権分立ではなく、一般的に言われる第4の権力であるマスメディア、そしてさらに検察を含めた5権が分立している社会だということ。この場合、検察=官僚(役人)ということのようだ。官僚という権力があるということは、これまであまり言われてこなかった。国民の選挙で選ばれた人にとにかく権力を与えてみるという、社会科で習った簡単な仕組みが実現できないのは、これまで日本にはこうした分かりにくい権力構造があったからだろう。

▲しかし、こういう仕組みの内側で生きてきた多くの人にとっては、それが当たり前であり、既得権も持っている。役人の生涯給与が一般的な民間人より高いというあたりがその典型だろう。それに対抗する勢力(今回でいえば、選挙で勝った民主党)に対して既得権を持つ人々が抵抗するのは当然。この戦いの象徴こそが今回の小沢VS.権察の本質だと思う。

▲官僚だけでなく、マスメディアなど既得権を多く持つ業界も、同様に民主党に対抗している。わかりやすくいえば、これまでの利益構造が崩れ始めていることに対する抵抗とも言える。特にマスメディアは反権力を錦の御旗にしつつも、社会構造的には完全に護送船団で、既得権に守られてきており、そこで働く人たちも上流階級とまで言えなくても、まあ悪くない生活が保証されている。しかしインターネット登場後の情報メディアの世界と、不況による減収によってマスメディア存亡の危機を迎えている。結束して既得権を守ろうとしていることは、資本主義的にはまあおかしい話ではない。

▲問題はそうしたスタンスゆえ、他権力批判という第4の権力にとって大事な役割、かつ飯の種が弱まっていることだろう。検察リークで記事を書いているという批判に対して、中日新聞(東京新聞)が、検察取材の現状をリポートした「問われるメディア・検察リーク考」という記事を書いているが、それを読む限り、検察取材はそうとうに難しく、なんとか他社に負けない、あるいは特ダネを取りたいという現場の記者は容易に検察リークにのるということを分からせてしまっている。さらに検察の監視をする余裕もないと吐露している。

▲ここまで書かれてしまうと、今回の一連の展開はやはり検察側の一方的なリークに乗った報道で、それによって世論操作されているという感は否定できない。幸いネット上にはとんでも陰謀説を含めた様々な意見があり、ツイッターを含めた新しいwebツールが一辺倒ではない情報を流通させるようになったおかげで、かつては一部月刊誌とか、夕刊紙といったマイナーメディアしか扱わなかった類の話が、多くの人の目にふれる機会が増えている。また個人が意見を発表するチャンスも増えているから、ネット世論のようなものも形成されつつある。

▲マスコミだけでない情報入手手段が増えていることは、20世紀との大きな違いだ。ただし、まだまだ誰でもが、デジタル機器を持ってそれを入手できるところまでには至っていない。それゆえ、iPadのような情報端末がもっと手軽に多くの人の手にわたることは喜ばしいと思っている(アップル製品は大嫌いなのだが)。それらによって新しい情報社会ができたら、民主的な第6の権力が形成できるかも、ということを21世紀前半の今は楽観的に期待していたいと思う。

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